HLAの歴史

主要組織適合性複合体 (major histocompatibility complex; MHC)の研究は、1936年にイギリスのGorerとアメリカのSnellがマウスの血液型に関連した抗原として発見したことに端を発している。彼らはこの抗原を支配している遺伝子領域が皮膚移植片に対する拒絶反応に強く影響していることを明らかにし、Histocompatibility-2抗原(H-2抗原)と命名した。その後、H-2抗原を支配している遺伝子領域は、近交系マウスを用いた解析により第17染色体上に存在する複数の領域からなる遺伝子複合体であることが明かとなった。1960年代始め、BenacerrafやMcDevittらは、マウスの免疫応答を司る遺伝子領域がMHC領域内に存在していることを明かにした。彼らは、この領域をI領域と命名した。

ヒトのMHCはHLA(Human leukocyte antigen)と呼ばれる。ヒトのMHC抗原であるHLA抗原は、1952年フランスのDaussetが頻回輸血患者血清中に白血球凝集試験で反応する抗体を見出し、これに対応する抗原をMac抗原(現在のHLA-A2抗原)と命名したことに始まる。1964年に開催された第1回の国際ワークショップは、欧米各地で行なわれていた研究を整理し、今日のHLA抗原系の基礎を確立した。マウスやヒトの先駆的研究を行なったSnell、 BenacerrafおよびDaussetらは1980年にノーベル生理医学賞を受賞している。

参考:移植・輸血検査学(猪子英俊・笹月健彦・十字猛夫監修)(2012年第2刷、講談社)

   ベリタスKAMON 24号 https://www.veritastk.co.jp/products/pdf/KAMON24.pdf

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